Sachiの部屋

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幼いころ親が離婚した子供の行く末。

幼いころ親が離婚した子供の30年後。

 

幼いころ、親が離婚をした。

幼いころ、というのは、何歳だったか記憶にないし、

親に聞くのもなんだか気が引けて知らないのだ。

 

私は母に引き取られ、母と二人暮らしをしていた。

母は昼夜問わず働きながら、私を育ててくれた。

私は何一つ不自由することなく、欲しいものも習い事もなんでも叶えてもらえた。

 

ただ一つ、父がいないだけ。

 

今となっては離婚なんてよくあることだけれど、

私たち親子には当時、とても後ろめたいものだった。

どれだけ不自由ない生活であろうと、父がいない、それだけは真実だったから。

 

別居していた父は、同じ街に住んでいた。

だけど、顔を合わせる機会は全くない。

 

そんな関係が過ぎて30年程。

 

私は、地元を離れ上京し、東京で暮らしている。

 

ある日、ポストをあけると心当たりのない封筒が一通。

 

差出人は「〇〇保険会社」

 

ウォーキング帰り、達成感を感じつつ、何気なくその封筒を開封してみた。

 

たった1枚のお手紙が入っていた。

 

 

突然のお手紙、失礼いたします。

・・・

・・・

 

内容はこうだった。

 

1年以上前に亡くなった私の父の医療保険に相続権があるため、連絡しました。

 

 

 

 

まず、

お父さん、亡くなってたんだ。という驚き。

 

そして、それも1年以上前に。

 

 

まず、この事実にびっくりした。

父の顔を思い出そうとしても思い出せない。

そこから、顔も分からない男の人を思い浮かべながら、涙がとまらなかった。

 

そして、

母は知っていたのか?と。

 

 

地方で暮らす母へ電話をかけた。

 

(なんて聞けばいいのかな・・・)と思いながら、母が出たので、唐突に

 

「お父さんって、亡くなってたの?」と聞いた。

そこから、

 

なんで教えてくれなかったんだ

お父さんとお母さんが仲が悪くても私には選択肢があるはず

なんで

なんで

なんで・・・

 

 

と、そんな言葉があふれてきた。

 

だけど、母から帰ってきた言葉は

 

「私も知らなかったの。知った時にはすでに納骨されていて・・・

いつ言おうか悩んでた。 ごめんね。」

 

 

どうやら、父が親族へ、私と母に何も知らせなくていいと言っていたらしい。

 

もはや真実は何も分からない。

 

故人を弔うことも、難しい。

 

だからと言って、母を責めることはできない。

 

 

今は顔も思い出せない父でも、

数年前に道端でばったり会ったことがあった。

すぐに父だと分かった。

 

どうして、今は顔も思い出せないのに、、、

会ったらすぐに父だと分かったあの時が、父に会った最後だった。

 

「・・・〇〇(私の名前)か?」

 

・・・その後、何を話したか、どう別れたかも覚えていない。

 

でもおそらく父は、私が父を嫌っていて、父を恨んでいると思っていると思う。

 

幼いころから父がいないことで苦労したこともあったし、

母を見ていて苦しい気持ちにもたくさんなった。

 

でも、今はそんなこと思っていないし、

むしろ、父を一人にさせてしまった、とさえ感じる。

 

 

顔も思い出せない父への思い、後悔は、どうしようもない。

同じ思いを母にさせないようにしていきたいと思う。

 

 

そして、医療保険の相続権が送付された件だが、

うちは全く裕福ではないし、父は晩年入院生活をしていたらしい。

なので、金額は少額だろう。ただ、子供の私にのみ一人相続権があった。

 

ただし、手続きには病院から診断書を取り寄せて、印鑑証明を準備して、などで時間がかかるようだ。

これまで父がどこで何をしているかを知らず、母も父と疎遠だったが、

どこの病院かは特定できた。

どこの病院かも分からない人はとても苦労すると思う。

 

 

 

「離婚なんてよくあること。」

「片親だって大したことない。」

「後悔しない人生だ」

そんなふうに強く生きてきたつもりだった。

 

でも、やはり血がつながっている親の死はとても辛い。

更に、父の死で悲しむ自分を母に見せるのも辛い。

 

誰が悪いなんて知らないけど、

ただ私は父も母もいなければここにいなかった。

だから感謝している。

この感謝の気持ちを伝えられないのが辛い。

 

だから毎年、同じ日、父を想うことにする。